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教会堂ではなく集会所

  • 7月9日
  • 読了時間: 2分

 最近、サクラダファミリアの中心となる塔が完成したことがさかんに報道されている。これには、ガウディという建築家のこと、140年かけて建設されていること、などいろいろな物語から語られているわけですが、いずれにしても、その価値はサクラダファミリアの、あの姿に視覚的な象徴性を感じるからなのですね。なぜそんなことを改めて言うかというと、その象徴性を否定するようなキリスト教の宗派があったことを知ったからです。6月15日に、土地と人間研究会を開催し、私から、明治末からの京都での市街化事業と、昭和初期の朝鮮での開拓事業に携わったある一人のキリスト者のことを紹介させてもらいました。宗教家、それも宗派や教団ではなく個人の宗教家がなしえた開発事業の話で、きわめて興味深いものなのですが、その基本にあったのは、その者が信仰していた特異な宗派だったのです。それは、プレモス・ブレズレン(Plymouth Brethren)という宗派。19世紀にアイルランドで起こりイギリスのプリマスで勢力を拡大したという宗派なのですが、組織に縛られず、教職制度を否定し(牧師もいない)、聖餐(パンとぶどう酒)を活動の中心とした集団でした。日本でも、数は少ないのですが、今でも信者はいます。そして、彼らにとっては、教会堂というのも意味がなかったようなのです。写真は、今回取り上げた宗教家が朝鮮の開発地に建設した集会所(教会堂ではない)です。内部には祭壇に該当するものもなかったようです。これまで様々な宗教建築を見てきた経験から、宗教というのは、何等かの視覚的象徴性があって成立するものと思っていました。しかし、どうやらそれは絶対条件ではないようなのです。とても興味深いです。


 
 
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