穢れの消毒?
- pafumars
- 3月15日
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3月1日の研究会では、宮本美咲輝さんに公園墓地の成立経緯について発表してもらいました。日本で最初の公園墓地を計画したのは、東京市公園課長の井下清で、1923年に多摩墓地が開園されるが、その計画で参照されたのは、ドイツの公園墓地であったことなど、多角的な視点から、日本での公園墓地の成立とその設計について分析してくれていて、たいへん優れた論考になっていました(下図は発表スライドから・日本建築学会優秀修論賞受賞)。確かに、近代公園史から見てこれまでにない視座を示していておもしろいのだけど、研究会メンバーの議論は、そこから離れて、公園化される前の、本来の墓所がなぜ、どのようにして近代化するのかというところに話が拡散してしまいました。まあ、話者の話からどんどん逸脱してしまうことが、研究会のおもしろさではあるわけで・・・。
墓地が公園になるとはどういうことなのか。墓所は本来は、汚れの場所であったわけで、それが近代において、消毒され、汚れとしてあったものが透明化され、それを誘導するものとして公園化があったのだろうなと。墓地公園化の一端を担った鉄道会社による葬式電車など、墓参りのリクリエーション化が進む話も、きわめておもしろい。墓地が郊外開発の拠点施設にもなりえたこともあったようです。遊郭のような悪所が郊外に移転させられるなど、さまざまな忌避施設は、都市内部から排除されていったというのが一般的な都市近代化の理解であるのだろうが、墓所は忌避イメージが反転されるという別の方法で内部化されていったということなのでしょうか。宗教の観点もからまって、墓地の近代は、考えることがたくさんありそうです。
